吉井勇を知っていますか? (前編)
皆様は、吉井勇という人物をご存知でしょうか。
おそらく、多くの方は「知らない」と答えるのではないかと思います。
彼は歌人です。
明治時代の中頃に生まれた人物で、北原白秋、石川啄木、斎藤茂吉、谷崎潤一郎など、誰でも知っているような有名な文人たちの同時代人であり、彼らと親交を持っていたり、ともに活動を行っていた人物でした。
現在でも知られる著名人のように、当時は知られた人物でしたが、教科書に載っている人物たちのようには名を留めることができず、時代の流れとともにその名前は埋れつつあります。
吉井勇の写真
でも彼の作品なら「知っている」という方もいらっしゃるかもしれませんね。
「ゴンドラの唄」という歌謡曲をご存知でしょうか。
「いのち短し恋せよ乙女」という歌い出しではじまる歌です。
一番の歌詞は以下の通りです。
いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを
この歌は息も長く、多くの歌手に歌われてきた歌です。だいぶ前になりますが、第16回紅白歌合戦で森繁久彌さんに歌われていますし、2012年には女性音楽ユニットHALCALIがアレンジされたこの曲を歌いCMソングにもなっています。また最近では、NHK朝の連続テレビ小説『マッサン』の主演女優であるシャーロット・ケイト・フォックスさんが劇中でゴンドラの唄を歌うシーンがあり、シングルCDとして発売もされました。
吉井さんは短歌だけでなく、戯曲、小説、歌の歌詞を創作できる多才な人でしたが、じつはこの歌謡曲の歌詞は彼が作詞したものなんです。
この歌は、発表された1915年当時たいへん流行した歌で、多くの人に口ずさまれていたようです。
ライオン水歯磨の広告に使用されたゴンドラの唄
とはいえ、時の流れには抗うことは困難です。彼の名声と同様に、この歌も時代の風が吹き付ける砂に埋れてしまうはずだったのです。
でも、先述の通りそれを免れています。
なぜかというと、ある人物によって新たな生命を吹き込まれたからなんです。
その人物とは日本を代表する映画監督の黒澤明です。
黒澤監督の作品に『生きる』という映画があります。
余命いくばくもないことを知った役所の市民課長が、そのことで「自分は何のために生きているのか」「残された人生をどう生きるべきか」「充実した生き方とは」という問いを突きつけられることになり、その答えを探す、というあらすじの映画です。
この作品のテーマ曲としてゴンドラの唄が採用されています。
黒澤監督は、劇中で主人公に二回この歌を歌わせていて、そうすることで、主人公の「生きる」ことに対する心境の変化を端的に表現しています。
まず、主人公が自分の残りの命が短いことを知った直後、享楽に耽る前に歌われます。
この時、「いのち短し、恋せよ乙女」という歌詞は、
「余命短し、放蕩せよ親父」という意味を表現するのに使われています。
酒を飲み、女性たちと遊ぶことで、一時的にその問いに悩むことを忘れることはできますが、やがて酔いが醒めて正気に戻った時、虚しさだけが残ってしまいます。
それではどうすれば充実した気持ちになれるのか。主人公はその答えを探すのですが、みつからないままただ時間だけが過ぎていきます。
そんな折、部下の若い女性が退屈な役所の仕事を辞めるために、上司である主人公に会いにやってきます。
「死ぬまでに充実した気持ちになってみたい」と願っている主人公の目には、彼女はいつも楽しそうで活気があって、「生き生き」としているようにみえます。主人公は、その秘密を知るために彼女に付きまといますが、次第に嫌がられるようになります。そこで主人公は思い切って、余命が少ないという自らの秘密を打ち明け、彼女の秘密の答えを直接訊ねるのです。
自覚がない彼女は「ただ、働いて食べて……それだけよ」と返すのですが、主人公の必死の訴えに対して、最近自分が楽しい理由を思い返します。彼女は、役所を辞めてからおもちゃ工場で働いていて、その仕事に充実感を感じています。それで、主人公に「これ(ウサギのおもちゃ)を作り出してから、日本中の赤ん坊と仲良くなった気がするの。課長さんも何か作ってみたら?」とアドバイスするのです。
女性に「何か作ってみたら」とアドバイスされる場面
この言葉がヒントとなり、主人公は役所という機構ですり減らしてしまった情熱を思い出し、残り少ない人生をかけて、困っている町の人たちのために公園づくりに奔走し始めるのです。
それから五ヶ月が経ち、公園は完成しました。その直後、主人公は自らが作り上げた公園のブランコに座りながら亡くなります。しかし彼は充実した気持ちを感じて死にました。
ブランコに揺られながらゴンドラの唄を歌う場面
死の直前のシーンで、二回目のゴンドラの唄が歌われるのですが、この時「いのち短し恋せよ乙女」という歌詞は、
「(人間という存在の)いのち短し、(誰かの)世話せよ人間たち」という意味になっています。
この映画で黒澤監督は、言葉を変えないまま、文脈によって言葉の意味を変える、という噺家のような技術を使っています。この読み変えの技術によって、ゴンドラの唄の歌詞は、「うら若き乙女たち、人間の生は短いのだから、精一杯自分の心に素直に生きなさい」という一部の人にむけた、個人の欲求に留まるメッセージから、「人間たち、人の生は短いのだから、精一杯自分以外の誰かの役に立つようなことをしなさい」という人類全体にむけた、人と人を繋ぐ内容のメッセージに変わっているのです。
『生きる』は、発表された当初から現在まで、そして国内だけでなく海外でも、多くの人に愛されてきた、日本を代表する映画ですが、この映画が多くの人の心を掴んだのは、「生きるとはどういうことか」という問いを、私たち一人ひとりの問題として捉え直させる説得力を持っているからなのだと思います。
おそらく、『生きる』は「ゴンドラの唄」なくして今日の評価はなかったと思います。そして、この歌詞でなければ、黒澤監督はこの歌を採用しなかったと思います。
というのも、そもそも「歌い出しから率直に人に呼びかける」この歌詞でなければ、『生きる』の脚本に使えず、「強いメッセージを持ちながらも、人への配慮の行き届いた優しさが込められた」この歌詞でなければ、万人の共感を得ることができなかったと思うからです。
劇中では、ゴンドラの唄は「大正時代のラブソング」といわれていて、この台詞から当時すでに古びたものとなっていることがわかります。黒澤監督は、そんなガラクタのようになっていた歌を発見して、その歌が本来持っている力を最大限に引き出すために、超一流の手法を凝らして復活させました(現代風の言葉でいえば、リノベーションしたといえるでしょうか)。
ゴンドラの唄が『生きる』で使用されてから60年、はじめて発表された時に遡れば100年以上も経過しています。あらゆるものがすぐに忘れ去られていく時間の流れの中で、この古い歌はいまだ歌い継がれているのです。このタイムスケールは、民謡に匹敵しています。きっと、同じ期間歌い継がれているような歌はあまり多くないと思います。とりわけ、義務教育で習うものを除いてはまず存在しないでしょう。
このような歌を誕生させるということは、意図的に狙ってもできないような奇跡的なことです。そんな奇跡が、吉井勇と黒澤明という二人の巨匠たちのコラボレーションによって実現し、その結果として、ゴンドラの唄は今日でも私たちが身近に触れられる場所に在り続けているのです。
「いのち短し恋せよ乙女」を文字ったタイトルのベストセラー小説(森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』角川書店、2006年)
「能島潮流コンサート&歌会」の、「歌会」の部分は、この吉井勇さんと私たちの地域との「ゆかり」によって企画されたものです。
それで今回は、今日忘れ去られつつある吉井勇という人の存在が、日本の代表的映画作品が成立した背景に大きく関わっている、ということを説明するために、文章を書き始めたのです……が、好きな映画の話題で熱が入りすぎたあまり、『生きる』の解説のような文章になってしまいました……(しかも、ド素人の拙い解説でした)。
今回は、本題である吉井勇さんの短歌の話題に触れることができませんでしたが、それについては次回の記事で行います。ぜひご覧いただければと思います。