能島潮流コンサート&歌会ブログ

能島潮流コンサート&歌会の準備経過やイベントに関する情報を発信していくブログです。 毎週木曜日・日曜日の午前10時更新

申込の状況と、『鵜島風土記』

 

 皆様、こんにちは。小山です。

 

 だんだんと暖かくなってきましたが、ここ数日、宮窪町は冷え込んでいます。

 

 私は気が早い質なのか、「もうすぐ春がやってくる!!」とパッとコタツから飛び出したのですが、冷気に耐え切れず、ふたたび滑り込んでコタツムリの生活に戻ってしまいました。

 今日から暖かくなるというので、ふたたび考えもせずに殻を捨てて飛び出してきてしまったのですが、いったいどうなることでしょう。

 

 


 さて、イベントの応募締切りが近づいてきました。

 応募に関しては、告知をはじめた当初に比べると、勢いが次第に収まってきていまして、あと少しで限定人数に届くといった状況です。

 

 正直なところ、せっかくご応募いただいた方を「抽選のフルイ」にかけることに対して申し訳なく思っていますので、ピタリと50名で応募が止まってほしいという気持ちが強いです。
 とはいえ、多くの人にもっともっとこの地域のことを知ってもらいたい、きてもらいたい、という気持ちもありますから、矛盾する二つの気持ちがせめぎあって複雑な心境です。贅沢な悩みですが……。

 

 それと、応募してくださった皆様のご対応がとても親切で、晴れやかな気持ちで受付ができてとても充実感があります。ご連絡くださった皆様、本当にありがとうございます。

 

 

 

 さて、前回の記事では小さな船旅・潮流満喫コース開設記念イベントをご紹介しましたが、今回はそれに合わせて出版された本についてご紹介しようと思います。

 

 本の名前は『鵜島風土記』といいます。

 

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  『鵜島風土記』の表紙(イラスト:とんぼ)

 

 

 鵜島出身の福羅逸己さんは郷土史家であり、これまで『平成26年版・福羅氏一族』(2014年)、『鵜島―歴史と文化』(2007年)、『鵜島おもしろ方言集』(2003年)という本を出版されてきました。

 福羅さんは、前回の記事でご紹介した絶景スポットの整備など、鵜島の島おこし活動の第一人者ともいえる人で、いまから4年前に、島おこし活動で今治市の地域活性化推進事業の助成が受けられることを知り、それを活用することで今まで以上の島おこし活動ができないものだろうかと考えました。

 

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 福羅逸己さん(撮影:添畑薫)

 

 
 ちょうどその頃、東京や福岡の大学院生たちが鵜島に興味を持ってやってきていたので、彼らと、もともと鵜島を注目していた人たちとともに「鵜島歴史民俗研究会」という団体を組織して、それぞれの特技を活かして一冊の本を作ろうという話になりました。それが『鵜島風土記』です。

 

 収められた論文は、

 

(1)鵜島の概要

(2)鵜島の民俗

(3)鵜島の歴史

(4)島民の移動

 

 というテーマで執筆されたものです。これらは大学院生たちが担当しましたが、以前から鵜島を注目していた人たちも巻頭写真、資料翻刻、表紙絵という形で参加しています。

 

 巻頭写真は、世界的に名の知れた海洋カメラマンである添畑薫さんが提供してくださいました。世界の海を巡りながら仕事をしてきた添畑さんは、この鵜島や近隣の景観を絶賛し、「瀬戸内海の原風景が残る場所」で、「世界の中で比較しても見劣りしないどころか、賞賛に値する場所」だといってくれました。その言葉が島民たちの心に火をつけて島おこし活動が本格的に始動したという経緯があります。

 

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 島の人と会話をする添畑薫さん

 

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 添畑さんが鵜島で撮影した写真

 


 また、『風土記』の巻末には島内の家に関する古文書の一部を掲載していますが、その翻刻作業は、当地域の歴史に精通していて、村上水軍博物館の設立にも携わった歴史学者の福川一徳さんが行っています。

 

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 島内を調査する福川一徳さん

 

 

 また、地元で活躍する美術家のとんぼさん(横本誠二さん)に表紙の絵を手がけてもらいました。

 人材確保にあくせくせず、短期間でつくったわりに、豪華で充実した内容の本ができあがったと内心満足しています。

 

 と、自分のことのように語っていますが、じつは私も当時鵜島にやってきていた人物たちの一人で、『鵜島風土記』の編集作業と「概要」と「民俗」のパートの執筆させてもらっているんです。

 

 

 当時東京に住んでいた私は、連休をみつけては夜行バスで鵜島にむかい、数日滞在しながら調べ物をしていました。


 調査の内容は、主にエンジン機械が島内に入ってくる以前の島の生活を知るというもので、人の家を訪ねたり、行事に参加させてもらいながら、昔のことを教えてもらいました。

 

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 鵜島の氏神神社宇佐八幡の例大祭に参加させてもらう小山(アヒルではありませんよー)

 

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 本祭の前日、境内の掃除を終えて休憩中の島の女性たち

 

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 本祭の様子

 

 

また、調査の一環で、竹竿の作り方を教えてもらって魚釣りをしたり、地獄網を仕掛けたり、ヒジキを採りに連れていってもらうなど、島の暮らしの一部を体験させてもらいました。

 

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 海辺の海産物の採取(撮影:添畑薫)

 

 

 依頼仕事による調査だったので大変なこともありましたが、遊園地などに遊びにいくよりも、何倍も楽しく充実した時間を過ごせたという記憶が残っています。

 

 私は札幌という都市の郊外にある住宅街で育ちましたが、この島の生活があまりにも楽しいものですから、「この島が故郷だったらよかったのにな」とか「そうじゃなくても、ここにおじいちゃんの家があったら夏休みに遊びにこれたのになあ」と、叶わないことを何度も夢見たほどです。

 

 鵜島出身者で現在島外に暮らしている人やそのお子さんをみていると、近くに住んでいる人はもちろんですが、千葉など遠くに住んでいる人も、気軽に島に帰ってきては、住民のお手伝いをしたり、釣りや舟遊びを楽しんだり、氏神神社例大祭や水軍レースに参加したりしています。ですから、「鵜島はすごく良いところだ、楽しい場所だ」という私のような都市育ちの外部出身者が一方的に抱くような憧れの気持ちも、それほど島民の感覚とはズレていないのかなと思ったりします。

 

 

 次回は、鵜島にあるカフェについてご紹介できればと思っています。『鵜島風土記』はそのカフェで配布していますので、ご興味を持たれた方はぜひ鵜島をお訪ねください。

 またイベントの当日も参加者に配布いたしますので、お楽しみに。