能島潮流コンサート&歌会ブログ

能島潮流コンサート&歌会の準備経過やイベントに関する情報を発信していくブログです。 毎週木曜日・日曜日の午前10時更新

吉井勇を知っていますか? (後編)

 

 皆様、こんにちは。小山です。

 

 前回の記事では、イベントの舞台である能島と鵜島は、吉井勇さんと「ゆかり」があるといいましたが、(前置きが長くなりすぎて……)その内容には触れられませんでした。

 

 今回は、吉井さんの短歌に触れつつ、このイベントとの「ゆかり」についてお話しできればと思います。

 

 

 良家の出身で、若くから歌の才能を認められた吉井は、順風満帆の青年期を送っていましたが、中年期には家の没落や、妻との不和といった苦難に遭い、心身ともに疲れ果てていました。そんな状態が長く続き、老境の年齢にさしかかると、人生の寂寥感まで陰鬱にのしかかってきます。人の勧めもあり、彼は土佐に移り住むことにします。

 

 そこで彼は草庵を構えて隠棲を始めるのですが、土佐の滞在中、その場所を起点に四国・中国・九州など広範囲で長期に渡る旅行にもでかけています。

 昭和11年には、彼は瀬戸内海の島巡りを行い、今治から大島、伯方島岩城島……と島伝いに北上しながら尾道まで抜ける、という旅程で旅をしています。

 

 

□ 今治の 朝発ち船に わが乗れば 海も凪ぎたり 島へいそがな

 

□ 荒神の 瀬戸のうねりに 船揺れて 伯方島山 ちかづきにけり

 

□ あなかしこ 大山祇の 御社の 檜皮の屋根に 照れる春の日

 

□ 瀬戸の海の 島より島へわたりゆく 船の遍路も おもしろきかな

 

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 大三島大山祇神社境内で写真に映る吉井勇さん(野間照子氏提供)

 

 

 その旅行は半ば仕事を兼ねるものだったので、短期間で駆け抜けるように島嶼部を移動しているのですが、その風景が忘れられなかったのか、翌年も同地域を訪れています。とりわけ伯方島が気に入っていたようで、三ヶ月近く滞在することになります。

 


□ 伯方島に わが船泊てぬ さすらひの こころの港 ここにもとめむ

 

 

 伯方島に対する吉井の惚れ込みは強かったようで、そこに居を構えようと思わせるほどでした(当時の社会情勢が邪魔をして実現はしませんでした)。

 彼は、伯方島の有津という地域にある宿「光藤旅館」に滞在していましたが、この旅館の二階の全室を借りきって、自らの文学全集の編集を行ったり、日がな一日窓の外を眺めて歌を詠んでいたといいます。

 じつは、この光藤旅館は、船折瀬戸と呼ばれる海を挟んで、正面に鵜島が眺める場所に立地しているんです。

 

 

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 明治後期から現在まで続く老舗旅館「光藤旅館」

 

 

 吉井さんはその場所からみえる景色や、近隣の風景を歌に残しているのですが、これが、今回のイベントと吉井勇という人物の「ゆかり」です。

 

 

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 光藤旅館の二階から臨める景色(正面にみえるのが鵜島)

 

 

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 光藤旅館手前にある有津港から撮影した鵜島

 

 

□ 有津の 海をながめて 今日もあり 吾妹子の船を 待つにあらねど

 

□ 朝床の うつつに聴けば たのしかり 船折瀬戸の うづ潮のおと

 

□ とどろとどろ 船折瀬戸を 鳴りくだつ早渦潮の ゆくへ知らずも

 

□ 大夕立 いまか来るらし 向ふ島 鵜島のあたり 波立てる見ゆ

 

□ 友きたり 絵の具のにほひ 立てにけり 窓より見たる 鵜島をや描く

 

□ 向ひ島 鵜島の磯に 船寄せて 鰭の廣もの 狭ものをぞ釣る

 

 

 私は短歌の素人ですから、それらの美的、専門的な評価や、良し悪しについてはまったくわかりません。

 それで、自分勝手に歌集を読んで、心に残るものや好きなものをみつけて楽しんでいるのですが、寝る前などにパラパラと頁を捲っていて、ふと、個人的に2つのタイプの短歌が好きだということに気づきました。

 

 一つ目のタイプは、例えば以下の歌です。

 


□ 除虫菊の 花の盛りも 過ぎにけり さびしきかなや 伯方島

 

□ 船折の 瀬戸もとろむや 風絶えて たばこ畑の 晝はしづけし

 

□ 冴え冴えと 石切る音の ひびき来る 島近くきて 朝ごころ澄む

 


 これら歌は、いまでは失われてしまったその土地の情報が記述されているという点で共通しています。

 吉井さんが伯方島に滞在して、歌を詠んだのは昭和11と12年なのですが、この頃の風景には、除虫菊畑やたばこ畑があることがわかります。

 また、「朝」方に、船に「島近く」までやってくると「石切る音のひびき」が聞こえてくる、という歌は、石を切る音が遠くまで響いて、「こころが澄む」という当時の静けさを教えてくれますし、同時に、それはどんな音だったのだろうという好奇心もかきたててくれます。

 これは古い写真をみる楽しみに通じるものがあって、自分の知っている場所の、過去に存在していた事物を知る手がかりになったりします。つまり、このような歌は、記録された当時のことを示す、歴史的・民俗的・風俗的な資料といえるものなんですね。

 

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f:id:noshimachouryuu:20160307180937j:plain   有津港付近の海岸で舟遊びや舟の上での歌会に興じるする吉井勇さん一行(野間照子氏提供)

 

 

ただ、この歌の記録が、写真とはちょっと違うのは、

 

 

□ 伯方島 有津びとの 盆をどり 戰あればか 今年はずまず

 

□ 弓削の子は おほらかなりや 春の海に もそろもそろと 鯛の網引く

 

 という歌のように、文字でなければ表現できないような「雰囲気」も、さらっと記録できてしまうところが、個人的には好きです。

 

 

 続いて、二つ目の好きなタイプの歌ですが、以下のようなものです。

 


□ 牧水が むかしの酒の にほひして 岩城の夜は 寂しかりけり

 

□ 人麿が むかしい往きし 海を往き うまし伯方の 島山を見む

 

□ 碧梧桐 大さかづきを かたはらに 文字書きしてふ 島はいづこぞ

 

□ みづからを 遠流の人の ごとくにも 思ひなして かこの島に来し

 


 また、今回のイベントのチラシとポスターには、

 


□ ますらをの 雄こヽろもちて 能島なる 荒神の瀬戸の 潮鳴を聴く

 

 

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 大島・宮窪港に置かれている歌碑

 「ますらをの雄こころもちて能島なる荒神の瀬戸の潮鳴を聴く」

 

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 伯方島・矢崎集会場前に置かれている歌碑(後ろの島は鵜島)

 「人麿がむかしい往きし海を往きうまし伯方の島山を見む」

 


 という歌を掲載していますが、これらの共通点は、過去の人物を俯瞰してみながら、あるいは、自らがその人物になりきって詠まれた歌だという点です。

 吉井さんが創作した歌を通じて、私は過去の景色を想像する楽しさを実感するようになりました。

 いま私がみている風景に、たった31の音が添えられるだけで、その風景の情報が厚みを増して、豊かな景色が広がるように感じられるのです。

 

 私は、吉井さんの歌には人の想像力を喚び起こす力があると感じているのですが、例えば、彼が中学一年の頃に『海国少年』という雑誌で天位に入選した歌に以下のものがあります。

 

 

□ 出雲なる 簸の川上は そのむかし 八頭の大蛇 住みけるところ

 

 

 若い頃に創作した歌に、すでに人の想像力を喚起する才能の萌芽が認められるように思います。

 

 私は、この喚起の力の源に、吉井勇という人の創作する歌の「率直さ」や「素朴さ」があると思っているのですが、彼の紡ぐ言葉を、心に抵抗なく、浸透するようにスッと入り込んでくる。そんな水のようなもの、という印象を持っています。

 後年、老境に入った彼が、自らの歌境の変化を振り返って書かれた随筆には、

 

 

 「斎藤茂吉君はその頃の私の歌風を『純情(変愛の情緒)をば、きはめて単純な句法で仕立ててゆく手法で、その調べは常に直線的であるから、一読して共鳴するものは共鳴してしまふ特質をもつてゐる。また感情には迂路を取らぬ直截性を持つてをり、調べの直線的な特質と相まつて、読者の胸を響かせる一つの力をもつてゐる』といつてゐる」

吉井勇「老境なるかな」、青空文庫、「http://www.aozora.gr.jp/cards/001497/files/51241_41908.html」)

 


 という記述があります。ここでは、斎藤茂吉さんが、吉井さんの第一歌集である『酒ほがひ』を創作した頃の作風に対して行った評言が引用されています。吉井さんもこのことを認めていて、その後の歌境に変化があったとも書かれていますが、その変化にも関わらず、以降の歌にも「感情には迂路を取らぬ直截性を持って」いるという特質は残り続けているように、私は思います。

 前回の記事で、ご紹介したゴンドラの唄の「いのち短し恋せよ乙女」という歌詞も同様ですが、吉井さんの言葉は「迂路を取らぬ」、つまり、余分なものを一切付け加えず、物事を複雑にしない、という手法を採用しています(これは黒澤映画にも通ずるものかと思います)。彼のストレートな言葉を通すと、ガチャガチャとした喧騒のような情報の群れの中から、大事な情報だけが浮き彫りになって、物事がはっきりみえてくる。彼の創作物には、そんな力があるように思うのです。

 

 

 今回のイベントの主役は潮音という「自然」ですが、吉井勇という人の紡いだ言葉と相性が良いと思い、歌会を企画しました。

 その相性の良さとは、両者とも、飾らない「ありのまま」の姿が人間の心にいちばん響く、ということを教えてくれる、という共通点に由来するものです。

 


 もちろん、この地域の豊かな自然風景は、前もって調べていなくても、それだけで充分に楽しめることと思いますが、吉井勇さんの歌を知っていたら、それ以上に楽しめると思います。当地域の歌が収録されている『天彦』という歌集をおすすめしておきます。

 

 

 まとまりのない文章で恐縮ですが、少しでも今回のイベントにご興味をお持ちいただけたらさいわいです。

 

 

 

 


 今回の記事を書くにあたって、光藤旅館の三代目女将である野間照子さんにお世話になりました。連絡もなしに訪れた私に対して、旅館内を案内してくださり、吉井勇さんに関連する昔の写真等をみせてくださいました。

 

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 吉井勇が滞在していた当時の海岸の位置を教えてくれる野間照子さん

 

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 所蔵している写真などの資料を解説してくれる照子さん

 

 

 また、伯方島住民団体「ふるさと倶楽部」事務局長の馬越健さんに資料を提供していただきました。

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 吉井勇伯方島の関係がまとめられた資料(馬越健児氏提供)

 馬越健児(著)、ふるさと倶楽部(編)、吉井勇没後五十年記念シンポジウム 「吉井勇伯方島」 全記録』、2014年。

 

 

 この記事は、お二人のご協力によって作成することができました。どうもありがとうございました。

 

 

『SHIMAP』(瀬戸内しまなみ海道振興協議会)に掲載されている「光藤旅館」の紹介ページ

 http://www.go-shimanami.jp/hotel/?a=82