吾輩は……
吾輩は家鴨である。
名前はまだ、内緒である。
どこで生まれたかおおよそ見当がついている。何でも真っ暗で狭いほかほかとした所でピィピィ泣いていた事を記憶している。
ある日、その狭さを窮屈に感じて壁を突き破ると、直ぐに全く妙な生き物に出会った。しかも後で聞くと、それは人間という動物中で一番獰悪な種族であるそうで、北京という地では我々を捕まえて丸焼きにして食うという話である。
しかしその当時は何という考えもなかったから別段恐ろしいとは思わなかった。ただ彼の掌で軽く掴まれてスーと持ち上げられた時何だかグワグワした感じがあったばかりである。
この人間の掌の中でしばらくはよい心持に収まっていたが、しばらくするとふたたび地に降ろされた。
周囲を見回すと、近くにあった丸い物体の中から壁を突き破って出てきた。吾輩が住んでいた「家」と同じ形をした物から、これまた吾輩と同じ形をした動物が姿を現したのである。
数日をかけて、近くの家からは続々とその動物が飛び出してきた。生まれて少しばかり時間が経つと、吾輩にもいくらか分別が備わり、彼らが吾輩と同じ家鴨であることが解った。
我々はすぐに親しくなり、この頼りない身の上を互いに助け合うつもりで、兄弟の契りを交わした。
それ以来、我々は滅多に離れることはせず、鳥生の大半をこの兄弟たちと共に行動している。
偶なのか、あるいは吾輩の前世の行いが良かったのか。
我々の故郷である鵜島に住む人間たちは、我々を食おうという気はないらしい。反対に、住居や餌まで与えてくれるという始末である。
我々が肥えてから食うという算段かもしれぬが、あまりに敵意がないので、最近では用心の心持もトンと薄れかかっている。
鵜島は静かで穏やかな土地であるが、ふと冒険に繰り出したくなることもある。
それで我々は、時折、隊列を成して、荒神瀬戸と呼ばれる海域の横断に挑戦するのである。
この荒神瀬戸は昔から人間が渡海するのに苦労してきた難所であるとのことだが、多くの船乗りを輩出してきた鵜島を故郷に持つ我々には、簡単とはいえないまでも、人がいうほどに難しいとは感じない。
潮の流れを読み、それに合わせて只々揺蕩うのである。そうすれば後は自然と出口に辿り着く。無論、我々ぐらいにならなければ、細かな潮の流れやそれらの変化を読み解くことは難しいであろう。
ちなみに、海の近くで棲息するアヒルは珍しいらしく、その上、自在に海を行き来することができるため、鵜島の人間たちは我々のことを「海あひる」と名づけている。
さて、荒神瀬戸を抜けると、小さな島に辿り着く。
能島という島である。
人が住んでいない無人の島であるはずだが、なぜか人間がいることもあり、我々に話しかけてくることがある。
しかし、我々は人見知りする質であるから、知らぬふりを通し、適度に距離を取る。
その人間は次第に近づくのを諦めて我々のことをジイっと見続けるのだが、聞くところによるとその人間が我々のことを「鵜島ダック」と呼んでいるらしい。
またその人間は変わった種族らしく、我々を研究するのが趣味であるという。
その人間は、こんな研究を行っている。
海賊の声が聞こえる~村上水軍博物館 スタッフブログ~: 鵜島ダック part 2
我々の動静を眺めて分析するというのだから物好きも良い所だが、悪い気はしていない。……まあ、じつのところ、感心の次第である。
我々の故郷である鵜島は物静かな島であるといったが、最近は少しばかり様子が違っている。
人々の話を盗み聞きしたところでは、近々この島に多くの人間がやってきて、荒神瀬戸の潮の流れとともにオカリナなる楽器の音を聴く、とのことである。どうやらこれが原因であるらしい。
幾分浮き立った雰囲気は、昨年に多くの人間が自転車を持ってやってきた時や、「KAT-TUN」という有名な人間たちがやってきた時に似ているかもしれぬ。
先に述べたように我々は人見知りする質であるから、人間が来た所で諸翼を上げて大歓迎するということはないだろうが、鵜島の人間たちの為になるというのなら、これまでもらった餌の恩義分くらいは、歓迎するつもりでいる。
それと、これは内緒の話。
西洋にはドナルドなる名の知れた家鴨がいると伝え聞くが、我々もそれぐらい有名になってみたいと思っている。それ故、多くの人間が、我々「屈強なる海あひる」のことを知ってくれれば、ありがたいありがたい。
人の世はいつ時もざわついていて、世知辛い。
当然、我々家鴨の世界も、カラスや捨て猫、そして自然の猛威によって、傷ついたり仲間を失ったりと、恐ろしいことが多い。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。
けれど、この鵜島で過ごす吾輩の心持は、万時、太平である。
兄弟たちと共に、食べて、寝て、この厖大なる海の片隅で、只々揺蕩うばかりである。
(写真提供:福羅逸己氏、添畑薫氏)