鵜島カフェにいこう
フェリー「のしま7」に乗って、鵜島の付近を通りかかると、少し変わった建物が目に付きます。鵜島に降り立ち、港を抜けててくてくと前方に歩いていくと、その建物が近づいてきます。
かわいらしい色をした建物で、店前に置かれた看板には「鵜島カフェ」と書いてありました。
皆様、こんにちは。小山です。
今日は、この鵜島カフェについてお話していこうと思っています。
鵜島カフェは、じつはもともと、フェリー乗船のための待合所として住民たちに利用されていたスペースでした。
待合所だった時は、風雨をしのいで暖を取るのに使われていたのですが、島おこしの気運が少しずつ高まってきたこともあって、それだけに使うのはもったいない、何か他に使えないかとという声が挙がるようになってきました。そして、でてきたのが「喫茶店に改装してはどうか」というアイデアなのでした。
話が少し飛びますが。
大三島には世界的な建築家である伊東豊雄さんの建築資料を揃えた伊東豊雄建築ミュージアムがあります。
「建築とは何か」「建築とは誰のものか」という問いを深く追求されている伊東先生は、建築物だけでなく「人が生活する」ための空間として、「地域」そのものについても関心を持たれている方で、建築家として地域づくりに積極的に携わっておられます(例えば、東日本大震災で仮設住宅での生活を余儀なくされた方々のために、コミュニケーションが確保されるためのスペースとして「みんなの家」という共有空間を提供されています)。
伊東さんは自身のミュージアムがある大三島を中心として、伊東豊雄建築塾の塾生さん等の関係者とともに様々な地域づくり活動を行ってきていますが、その活動範囲は大三島に限られたものではなく近隣の島々にも及んでいます。
じつは鵜島もその一つでして、鵜島カフェの建設にも伊東豊雄さんの関係者が係わっています。当時、今治市伊東豊雄建築ミュージアムの学芸員だった東浩章さんが鵜島に興味を持ってくれて、カフェの基本デザインを担当してくれたのです。
方向性が定まれば、さっそく行動あるのみということで、カフェの建設がはじまったわけですが。
この地域の人たちがやることですから、基本はやはり手作りです。
業者に任せず自分たちで作る、が基本コンセプト。
なぜ、頑なにその姿勢を維持しようとするのかというと、そこには「仲間たちと一緒にものを作ることを通じて、その時の思い出と建物の愛着を仲間たちと共有しよう」という想いが込められているからなんです。
そうすれば、できあがったものは本当の意味で「みんなのもの」になりますよね。
この「仲間」には、島の住民だけでなく、「地域を元気にしたい」という想いを持った人々――東さんをはじめ、町おこし活動の仲間である宮窪町の町おこしグループ「NPO法人能島の里」のメンバー、そして私の先輩である今治市地域おこし協力隊の伯方・宮窪・吉海の協力隊員など多くの人が含まれています。
さてさて、「みんな」で協力しあって、なんとか「みんなの」鵜島カフェができあがりました。
この改装によって、鵜島カフェはもとからの島民の憩いの場という機能に加え、新たに島に訪れた人たちが気軽に立ち寄れる、鵜島の「顔」という機能を併せ持った施設に生まれ変わりました。
こうして島外の人を受け入れる準備ができあがったのです。
アクセスが良い場所ではないので、たくさんの人が訪れるというわけではありませんが、口コミなどで少しずつ「隠れた名所」と知られてきていて、来島者が増えてきています。
島にやってきた人をみていると、この鵜島カフェを拠点にして、島内を周回したり、集落を散策したりしています。
近年、しまなみ海道は海外旅行者に利用されることが多くなってきましたが、時折、鵜島にもそのようなお客さんがやってきて、鵜島カフェを利用されます。物静かな落ち着いた雰囲気が好まれているようで、長時間滞在してのんびりと過ごす人もいます。
ぜひ、あなたも鵜島カフェにきてみませんか。
きっと、豊かで優しい時間を過ごせると思いますよ。
鵜島の人による鵜島カフェのfacebookページのアドレス
鵜島カフェだけでなく島内の出来事についての記事もあります。
きれいな写真が挙げられているので、おすすめです。
https://www.facebook.com/ushimacafe/